小説 『若冲』
先日の『若冲』展が、私にはちょっと衝撃が強すぎたのか、観た後しばらくの間は頭の中があの極彩色に埋め尽くされたままでした。桜に紅葉に鶏と、絶えず脳内でスライド上映されてる感じで、その鮮やかな世界にずっと埋もれていたいような、色に支配されてふわふわする頭をいい加減落ち着けたいような。
何か違うことを考えたい、でも他の展覧会とかに行く気にもなれないって時にふと思い出して、澤田瞳子さんの「若冲」を再読しました。
京都・錦市場にある青物問屋、桝源の跡取りとして生まれた若冲は、若い頃から絵業にのめり込んで肝心の家業はないがしろ。そんな若冲の妻は、いつも絵のことばかりで自分をまるでかえりみない夫と、その原因は亭主の体たらくを正せない嫁にあるとする周囲からの責めを苦にして、自ら命を絶ってしまいます。自分のせいで妻を死なせてしまった若冲はますます絵に没頭。「姉を殺したのは若冲と桝源の家」と言って憚らない義弟の弁蔵は、そんな若冲にいよいよ恨みを募らせてゆきますがーー。
去年の直木賞候補にもなった今作、文庫本はまだみたい。『若冲』展のタイミングで出してもよかったのにと思うけど、単行本発売から1年じゃ早すぎるのかしら?
短い会期と異常な混み具合に「動植綵絵」をあきらめちゃった方、雑誌の特集や専門書もいいですが、小説というかたちで追ってみてもいいかもです。
それでは、また。
『若冲展』
お久しぶりです。
両親と奈良へ。 【1日目②・忍辱山円成寺】
なかなかブログ更新できなくて焦ってます、、、
このペースじゃ、旅行のこと書き終わるのもいつになることやら。それに始める前は「書くことなくなっちゃったらどうしよ」なんて思ってたんですが、これがどんどん出てくる。よけい焦る! もうちょっとスピード上げていきたいと思います。
そんなわけで前回からの続き。旅行1日目のメイン、忍辱山円成寺。
山門をくぐり短い階段を降りると、すばらしい浄土式庭園が。
浄土式庭園とは仏教の中でも浄土思想の影響を強く受けたもので、メジャーどころだと京都・宇治の平等院鳳凰堂、あれとかもそう。
池をはさんで手前側(境内入り口側であることが多いです)が娑婆で、要は私たちの生きる俗世界。で、向こう側(お堂のある側)が彼岸、仏さまのいる極楽浄土の世界ってなってるんですね。
じゃ池は何なんだというと、「人々が乗り越えなきゃいけない煩悩や苦難」と説明する本もあれば、昔、私が聞いたお坊さんの話では「三途の川」だったり。
まあここらへんはざっくりでいいと思います。鏡のような水面に映る木々の緑を見ているだけで、頭の中がすうっと静まっていくような。
上の写真に写っているのは楼門、こちらが本堂の阿弥陀堂。
ご本尊の阿弥陀如来座像は重要文化財。いかにも平安時代っぽい、ふっくらほわーんとした感じのきれいな仏さまです。が、ここの見どころはご本尊じゃなくて堂内の柱の、阿弥陀如来来迎図。
(円成寺HPより写真お借りしました)
来迎っていうのは、ようは「あの世からお迎えが来た」時のこと。ご本尊の阿弥陀如来はそのお迎え役の仏さまさんですが、周りの柱にお連れの者である観音さまを描くことで、普通は平面で表される来迎図をお堂全体で表現しているんです。その発想だけでもすごい!と思ってしまいますが、この観音さまがまたどれも本当に美しい! 傷みがはげしく剥落している箇所も多いですが、一体ずつじっくり見なくてはもったいない素晴らしい出来。
この来迎図だけでも十分訪れる価値はありますが、私と父の本命はこれから。
この多宝塔に安置されている、運慶作 国宝 大日如来坐像。台座の中に残っていた銘から運慶最初期の作品であることが分かっています。
(円成寺HPより写真お借りしました)
これがもうほんとうに、一目見た瞬間に「うわっ」て声が出ちゃうくらい素晴らしかった!! 胴回りがすっきりとして無駄がなく、顔を上げ背筋がぴんと伸びた若々しい姿、視線の鋭さ。運慶仏の特徴が、この処女作にもすでにしっかりと出ている。
これは個人的な感想ですが、運慶による仏像とほかのものとの決定的な違いは、質感まで伝える圧倒的な写実性だと思います。その曲線から感じるのは触れた指を跳ね返してきそうな、むっちりとしたハリ、すべすべとした肌のきめ細かさ。全体のバランス。そして意志を持っているかのような、複雑で人間らしい表情。
3時間歩き通した疲れも一瞬で吹き飛ぶ素晴らしさ。ずっと見ていたかった…
一気にテンション上がったところで、次は柳生家ゆかりの芳徳禅寺へ。
次の記事に続きます。
両親と奈良へ。【1日目①・滝坂の道】
ずいぶん遅くなってしまいましたが……
新年あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします!
残念な曜日配置でなんだかあっという間だった今年のお正月。
みなさんどう過ごされましたか。ゆっくりできました?
私は両親と一緒に、奈良へ旅行に行ってきました。
わが家は父・兄・私と、母以外の家族全員が大の仏像ファン。
なので旅行といえば寺社仏閣巡りです。父と行く時は彼の希望を最優先にしているのですが、今年はどこにするの?と聞いたら
「1日目はね、滝坂の道。春日大社の脇から柳生の里へ出る旧街道なんだけど、雰囲気いいらしいんだよ」と。セレクトが年々マニアックになってきている。。
というわけで新年2日、夜明け前に自宅を出発。
新幹線から外を見ると、こわいくらいの朝焼け。
そして、しょっぱなから問題発生。
滝坂の道は奈良市内側からだとのぼり坂が多くキツいらしいので、まずバスで一番奥の柳生まで行き、そこから戻ってくる感じで歩く予定だったんです。
ところが、京都から奈良へ向かう電車の中でバスの時間を父に聞くと
「1時間に1本くらい出てるってガイドブックに書いてあったから大丈夫」と。
ふーんそっかと答えつつ、何が大丈夫なのかと完全に不安になったのでスマホで調べると
9時46分のは間に合わない。次は……13時34分?!
朝と夕方はたしかに1時間おきに出てるけど、9時台の後からお昼過ぎまでがごっそり空白。おそらく父の見たガイドブックが少し古かったのと、にしても情報の書き方がだいぶ雑だったのと、さらにお正月のため休日ダイヤだったのと。私が確認しとくべきだった……。
奈良駅前から柳生までバスで約50分。13時台のバスまで待っていたら日が落ちるまでに帰って来れない。何より時間がもったいない!ということで、仕方なく奈良市内側からスタートすることに。
父「とりあえず円成寺までは頑張ろう」
私「どれくらいあるの?」
父「10kmくらい。やっぱ3時間はかかるかなあ」
正月早々なんの罰だこれ……とか思いながら歩き始めた滝坂の道、これが想像以上の悪路とのぼり坂で本当にキツかった。
一応古い石畳が敷かれているのだけど表面がでこぼこで逆に歩きにくい。お正月とは思えないほど暖かかったこともあり、山道に入って10分もしないうちに3人とも汗だく。
でも雰囲気は抜群です!うっそうと生い茂る春日山の原生林、道のすぐ横を流れる川の音、苔むした岩のしっとりと鮮やかな緑。
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景色に気を紛らせながら30分ほど歩いた頃、河原の向こうのに磨崖仏が。
日が昇ると最初にここに陽の光があたることから「朝日観音」と呼ばれるそうですが、実際は中央が弥勒菩薩、両脇が地蔵菩薩。
もう1月というのに、もみじの落ち葉がまだ残っていました。紅葉と呼ぶにはちょっと色がくすんでしまっていたけれど、もみじの葉の重なるさまはやっぱりきれい。
道中唯一の休憩ポイント「峠の茶屋」。昔ここを訪れた武芸者たちが酒代のカタに置いていったという槍や鉄砲が、店内にずらっと並べられているそう。この日は残念ながらお休み、ということで私たちの休憩もおあずけ。。。ひどい
途中、民家と田畑の間を抜ける箇所が。きれいに舗装された道にほっとしたのも束の間、またすぐ山道が始まります。
足元の悪さ、ひどいところはこんな感じ。前日に雨とか降ってなくてよかった
後半は歩くのに精一杯で景色を楽しむ余裕はまったくなし。それでもなんとか10km踏破! 新年からすごい頑張りました笑。
この日最初の目的地、忍辱山・円成寺(にんにくせん えんじょうじ)に到着。
鎌倉時代の仏師・運慶の処女作があることで仏像ファンには有名なお寺です。
次の記事に続きます!
『肉筆浮世絵ー美の競艶』展
さて、記念すべき1本目は
上野の森美術館で開催中の『肉筆浮世絵-美の競艶』展について。
ここ一カ月ほどの間に観た浮世絵の展覧会、どれもほんとに素晴らしかったのだけど
私いつも会期終了ギリギリに慌てて行くので、他のは全部終わっちゃってるんだな、、
お正月休み突入のタイミングだし、せっかくなら使える情報のがいいですもんね。
これからは出来るかぎり早めに行こう、うん。
終わっちゃった他の展覧会についても、追って感想をまとめたいと思います。
で、肉筆浮世絵。ざっと説明すると
浮世絵=版画ってイメージですけど実は違くって、江戸時代〜明治初期の人々の生活や風俗、実在の人物や時事ネタなんかを題材にしたものの総称。
で、絵師が描いた絵を彫師が版木におこし、摺師が刷って量産したのが浮世絵版画。
対して肉筆浮世絵は、絵師が一筆一筆丁寧に描き込んで仕上げた一点もの。
この展覧会の構成作品がほぼすべて美人画ということもあり、広重の風景画に漂う侘び寂びや、国芳の優れた画面構成&インパクト、写楽のデフォルメされた世界なんかを期待していくとたぶん面食らいます。掛軸とかになってるいわゆる日本画を想像してた方が、実物との印象のズレは少ないかもしれない。
かくいう私も、肉筆画そのものには正直そこまで執着なくて
「でも北斎とか英泉とかメンツ超豪華だしとりあえず行っとくか」
くらいの気持ちだったんです、行く前は。
でも行ってみたらば、想像以上に良かった!
まず、どの作品もびっくりするほど状態がいい。
破れ、折れ、シミはほぼ皆無。重ねた絵具の剥落さえほとんどなくて、「…新品?」って思ったくらい。
これは肉筆画の特徴も関係しているようで、
手間も時間もかかる一点ものの肉筆画は、大名や豪商といった当時のお金持ちが、自分のだけために描かせた特注品ばかりなんだとか。市民向けに量産された浮世絵版画とは対照的な存在なんですね。そして使ってる絵具は当時とても高価だった岩絵具。おもに鉱物を原料とした岩絵具は発色がよく、経年による退色も少ないため、当時の彩色がそのまま残っているという。
また作品の多くは掛軸の形に美しく装幀されていて、それも見どころ! 錦糸の織物の上からさらに草花の刺繍が施されていたりするのだけど、絵の内容・構図に合わせた高いデザイン性、工芸品としての質の高さは溜め息ものです。
そして、どの作品もものすごく間近に鑑賞できる! これがほんとよかった。
今回、従来より薄型で透明度の高い陳列ケースをわざわざ特注したそう。さらに照明も、作品へのダメージが少なく、かつ本来の色に近い色彩を再現できる最新の有機EL。だから、「これもうちょっと照明当ててくれないかな…」っていうあのストレスがない! おかげで生えぎわの髪の1本1本、上から重ねた絵具の立体感までじっくり鑑賞できます。
絵としての美しさはもちろん、「こんな細い線どうやって彫るの」みたいな、職人たちの超絶技巧も浮世絵ならではの面白さだと思うんですが、その醍醐味は肉筆画でも十分に堪能できるんだということを思い知らされます。そしてなんといっても表現力の豊かさ。遊女の豪華な着物に描かれた柄はそれだけで一つの絵画のようだし、襦袢の柄が透ける薄物の着物はしゃりっとした質感までもが伝わるよう。版画に比べ作品が大きいのでその分迫力もあるし。
関西の絵師の作品が充実していたのも、個人的には嬉しかったなあ。今回初めてその名を知った祇園井特、リアルを追求した異色の美人画はちょっと衝撃でした。
そう、師宣とか歴代の歌川派とか暁斎(一休禅師地獄太夫図!!これだけでも行く価値あると思う)とか、各時代のスター絵師が勢揃いしてるのももちろんなんだけど、そこまで有名じゃない絵師の作品もかなりの名品揃い。これが個人コレクションっていうのが信じられない。私はどの作品もさらっと流すことができなくて、気付けば滞在3時間……。超疲れた。お客さんの年齢層はほかの浮世絵展よりかなり高くて、私と同世代がちらほら、年下っぽい人はほとんどいなかった。肉筆画で美人画となるとやっぱりちょっとハードル高いのかな。だとしたらもったいないです。
1月17日(日)までやってます。気になった方ぜひ。
ブログはじめます
こんにちは。
突然ですが、というか今さらですが、
ブログをはじめたいと思います。
独立してもうすぐ2年が経ちますが
その間にいろいろ思うことも、思わされることもあり。
特にこの2015年は、好きなものを「好き」と言うことの大切さを
改めて思い知った1年でした。
そしてフリーという身の世知辛さも。生きるってなんて大変なのだろう。笑
……とかまあ理由を探せばあれこれ何とでも言えるんですが
ここらへんのことは単なるきっかけでしかなくて
ただ自分の好きなものについて、好き好き大好き超愛してる!!と
誰に気兼ねすることなく思う存分吐き出せる場所が欲しくなった、
というのが一番大きいです。
本当はきっと、テーマを何かひとつに絞ったほうがいいのでしょうが
飽きっぽい私はきっと、その時々でいろんなことを書きたくなると思うので。
今日観たライヴのこと、来週行く展覧会のこと、来月の旅行のこと……と
あっちこっちふらふらしながら、気ままに書いていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。